女人堂-世界遺産、和歌山県高野山「女人堂」の写真画像集

女人堂-世界遺産、和歌山県高野山「女人堂」の写真画像集

女人堂(和歌山県高野町)

高野山で現存する唯一の女人堂です。女人堂は参拝者の休憩場でもあり、女人禁制の高野山に入れない女性がお堂に籠(こ)もり一晩中真言を唱える場所でもありました。

 

女人堂

高野山の北西の入り口にある不動口にいまだのこる女人堂は、一千年余りの間女人禁制であった高野山の七つの入り口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一の残存建造物である。むかし、女性はここから山内に入る事が許されなかった。

 

女人堂(和歌山県高野町)

Nyonindo
The Nyonindo that exists now at the N.W. entrance of koyasan is the only one that has survived among the seven Nyonindos that stood at so many entrances in former days. Women were not admitted to enter the precincts of Koyasan from here.

 

 

 

 

小杉明神社 (女人堂向かって左側にある祠です。)

女人堂-小杉明神社
小杉明神社
その昔、越後の国に本陣宿紀(ほんじんやどき)の国屋があり、そこに小杉という娘さんがおりました。数奇な人生を送られましたが、お大師様に救われ、尼僧になられて、女人禁制の高野山に登って来られる女人の方々のために不動坂上に最初の女人堂を開かれ、やさしい接待をされておりました。その小杉さんが、女人堂の鎮守小杉明神としてお祀りされている祠です。

 

 

 

小杉明神者(説明)

女人堂-小杉明神社

Kosugimyojin Shrine
According to an old story, there was once a young woman named Kosugi who lived in an inn in the Province of Echigo(present-day Niigata Prefecture). Her life was full of hardship, but she was saved by Kobodaishi. Kosugi became a nun and opened here, at the top of the Fudo slope, along one of the pilgrim roads leading to Koyasan, the first so called"women's hall". She now venerated as Kosugimyojin, a guardian deity of the Nyonindo-hall.

 

 

 

お竹地蔵 (女人堂真向かい)

女人堂-お竹地蔵
お竹地蔵駅の由来
この地蔵尊は安政年間江戸の大地震で亡くなられた人々のため、又自分の父母の菩提(ぼだい)のために自分の身を仏様に捧げて30年の年期奉公し身を粉にして働き蓄えたお金で建てられたお地蔵様です。建立された人は横山竹さんと申される女性で江戸(もと飯田町)のかたです。女人堂前のお竹地蔵さんと崇められ、今なお多くの参拝者で線香の煙が絶える事がありません。お願い事は縁談、進学、子授、水子供養等をお聴き届け下さいます。

 

女人堂-お竹地蔵

Otakejizo
This statue of Jizo, a Buddhist guardian deity, was erected about 1860 by Yokoyama Take. She donated the statue in prayer for the souls of her parents snd others lost in the great Ansei earthquake which struck Edo(present-day Tokyo), devotely working for thirty years to see it completed. People come here to pray for scholastic achievement, a suitable marriage partner, the birth of a child, and the salvation of children lost before birth.

 

 

 

高野山北西の入り口

女人堂付近の高野山入口
女人堂近くの高野山の門の写真画像です。
前方・・・高野山
後方・・・高野山駅(バス専用道、人も通れません。)
左側・・・女人堂
右側・・・お竹地蔵

 

高野山は町全体が総本山金剛峰寺の境内です。この門より中はお寺の境内となります。
女性は1872年(明治5年)まで、この門より中に入る事ができなかったため、門の外でも参拝ができるよう女人堂ができました。

 

昔、こういった高野山の入り口は七箇所あり七箇所全てに女人堂がありました。
当時の女性が高野山の外から参拝をする為の道でもあり、七つの女人堂をむすぶ道を女人道と呼ばれています。

 

現在の女人堂は現存するものだけですが女人道は現在もあります。
女人道を歩く女人堂跡巡りなどのイベントもあり、高野山を別の角度から見ることができるオススメ観光スポットです。

 

 

 

女人堂 小杉物語

女人堂小杉物語

女人堂の由来
女人堂の中で販売されていた女人堂を建立された方、小杉様の物語の小冊子を購入しました。

 

以前より何度か女人堂に行ってましたが、この小冊子を読んで女人堂、小杉明神社の由来を知り参拝する気持ちがかわりました。
小冊子の内容は
越後国(新潟県)ご出身の小杉様が幾多の不幸で失った我が子の供養のため高野山へこられ、女人禁制で中には入れない事を知り入り口にお堂を建てられた女人堂のはじまりを物語で紹介をしています。

 

当時の入山かなわなかった女性の為に設けられた女人堂は昔を伝える大切な遺産だと思いました。

 

 

 

高野山-女人堂の場所

和歌山県伊都郡(いとぐん)高野町
駐車場 有
拝観 無料

 

女人堂より高野山駅への道はバス専用道となっています。
人の歩行も禁止されているので注意が必要です。


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