明恵上修行の地 東白上卒都婆(東白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

明恵上人修行の地 東白上卒都婆(東白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡

明恵上人-東白上遺跡

2023年1月31日撮影 
明恵紀州八所遺跡 - 東白上卒都婆(東白上遺跡) - ひがししらかみそとば
国指定史跡

 

西白上遺跡より約400m離れた地に東白上遺跡はあります。24才の明恵上人はここで自ら右耳を切り落とすという強烈なエピソードを残します。仏道への深い思いと情熱で自分を律し、煩悩からの解脱に励む日々を過ごした場所。西白上遺跡よりさらに人里離れ何もない場所なので過酷な修行だったのだろうと想像できる東白上遺跡。

 

 

 

東白上遺跡は西白上遺跡入口から300m
明恵上人修行の地 東白上卒都婆(東白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

東白上遺跡への道しるべと石標
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明恵上人修行の地 東白上卒都婆(東白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

道案内が多く遺跡まで問題無く行けます
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道しるべ通り右側へ、ちなみに左側は行き止まりです。

 

 

東白上遺跡入口
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ここから50mほどで東白上遺跡

 

 

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明恵上人 東白上遺跡 説明案内板
明恵上人修行の地 東白上卒都婆(東白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

史跡
明恵紀州遺跡 白上(東白上)率都婆
 昭和六年六月三日指定
 和歌山県有田郡湯浅町栖原1468-1

 

西白上からここに移られた上人は仏の道に純粋にうちこむ志をたしかめるため自らきびしい覚悟をあらたにしようとして右の耳を切られた。

 

その翌日一心に華厳経十地品を読みつづけていると眼前に文殊菩薩の姿が現われ上人はこの霊感により修行上の確信を得られた。その時の本尊であった仏眼仏母像(京都高山寺蔵)には上人の自筆で「モロトモニアハレトヲホセワ仏ヨ、キミヨリホカニシルヒトモナシ無耳法師之母御前也」とある。この時上人は二十四才であり二十六才までこの地におられた。

 

率都婆正面には
梵字(ウーン)建久之比蟄居修練之間 文殊浮空中現形之処

 

側面には
願主 藤原宗貞とある

 

注意、率都婆の
一、柵内には絶対に立入らないでください。
一、火気には充分気をつけてください。
一、附近で飲食は遠慮して下さい。

 

 

案内板から東白上遺跡までの道
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静かな場所に立つ東白上卒都婆(西白上遺跡)
明恵上人-東白上遺跡

 

 

東白上遺跡の奥は岩場(断崖絶壁なので足元注意)
明恵上人-東白上遺跡

 

 

遺跡近くの展望できる岩場
明恵上人修行の地 東白上卒都婆(東白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

明恵上人が見られたであろう岩場からの景色
明恵上人修行の地 東白上卒都婆(東白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

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明恵上人24才、東白上で耳を切断した経緯

24歳、建久七年(1196)仏眼仏母像の前で自分の右耳を剃刀で切り落とす!

 

釈尊を信じ煩悩から離れ悟りを開く為に、華厳経を極めんと修行の日々を送る上人。そんな修行の身である明恵上人を『徳の高い僧』と民衆は言い崇める。未熟な自分を崇められては自分がいつ勘違いをして思いあがるかもしれないと悩んでいた。華厳教7祖の一人『馬鳴論師(めみょうろんじ)』が釈尊の教えを説いているように、頭や顔の毛を剃り頭をなでても効果がなく(心が落ち着かない)、壊色の法衣を来ても効き目がない(人は崇めるのを辞めない)。

 

悩む心を抑えるのが難しくなってきた明恵上人は、それならばいっそ自分の姿を変え片輪者(かたわもの)になれば良いのではないかと思うようになっていた。片輪者なら崇める民衆は無くなるだろう。自分自身も片輪を意識して人の目の前に出ることを遠慮するだろう。そうすれば今まで通り志堅く釈迦如来の足跡をたどることに専念できると考えた。(片輪者とは昔の差別用語で不完全や未熟者を表す。)

 

目をつぶそうか?(いや経典を見えなくなるのは困る) 鼻を切ろうか?(いや鼻水が垂れ経典を汚すのは困る) 手を切ろうか?(いや印を結べないのは困る) 耳を切ろうか? 耳を切っても音は聞こえ不便を感じまい!と自ら右耳の削ぎ落した

 

明恵上人伝記に「仏眼如来の御前にて念を誦(とな)え、剃刀を取って右の耳を切る。餘(あま)りて走り散血(あまりにひどく血が飛んだ)。血は本尊并(ならび)に佛具や経典等に懸(かか)る。其(その)血は未(いま)だ本所にあり失(うせ)ない。と明恵上人が仰った。」とある。

耳を削ぎ落すエピソードから、西白上から東白上遺跡に草庵を移したのは、自分を崇める人から距離を置きたくて、さらに山深い人里離れた地に転居し修行に集中したかったのかもしれない。

 

 

明恵上人24才、耳切断後の貴重な体験(夢)

耳を切断した日の夜。一人の梵僧(インドの僧侶)が来て私に告げた「我は三世(前世・現世・来世)、諸佛(いろいろの仏。)  因位(修行中で、悟りに至る以前の地位。 菩薩の地位。) 萬行(仏教徒や修験者の修めるあらゆる行。)で 頭目手足を仏法の為に惜しまない行為をした者を記録する者なり」と言い、筆で1冊の書物の奥に記録した。という夢を見た。

 

耳を切断した日の翌日。華厳経の経典を開いた時、釈迦如来が他化自在天王宮(たけじざいてんおうきゅう)摩尼寳蔵殿(まにほうぞうでん)の上で大勢の高僧(大菩薩)に説法している姿を見た。誠に気高いさまを凄く覚えている。とてもうらやましくて悲しみの涙を拭く。耳の痛みに耐え、大泣きしながら大声をあげてこの経文を一心に読み続けていると、いつしか私もその群衆の中にいる心地になれた。あまたの菩薩と釈尊が経を唱える荘厳な様が目の前に浮かぶ。この世に御存命で説法をする慈悲深いお顔を拝見した気持ちになって嬉しくて涙を流す。

 

なおもはげんで読経していると、突然目の前が光輝き文殊菩薩が黄金の獅子に乗って虚空に浮かんだ。「その御長三尺余り、光明赫奕(かくやく)たり」と『明恵上人伝記』にあり。

個人的な見解だが、食もあまりとらず栄養失調状態の体で大量の出血や激しい痛み、それに伴う高熱や命の危険を想像するに、意識もうろうと幻覚や幻聴があってもおかしくないと思う。

 

常に釈尊の姿や言葉をイメージしながら修行に励んでいた明恵上人だからこそ、現実に起こっているような鮮明な霊体験を経験できたのだろう。

 

 

明恵上人24才~、東白上遺跡での出来事

白上の庵で難儀なことがあって住みたくなくったので、淡路島へ修行地探しにでかけたが良い場所がみつからなかった。難儀とは、田舎故経典が手に入り難し、修行で乞食をするも施しが多く乞食がやり難し。

 

26歳、建久九年(1198)8月、文覚上人が病気の知らせ、明恵は高雄の神護寺に呼び寄せられる。上京した明恵と再会した文覚は喜び、この地に留まることを切望する。神護寺で空海の教えを広め、華厳宗の興隆の地とし、寺宝を譲ろうとした。

 

26歳、建久九年(1198)秋(旧暦7~9月)の末頃、高雄で騒動があった事や、明恵はいまだ修行中の身とし再び紀州に戻った。(騒動とは、翌年(1199)に文覚が佐渡に流罪となるがそれに関連したことかもしれない。)

 

年の暮れ、白上峰より見える島(苅藻島)に渡ってみたくなり、弟子の「喜海」「道忠」を伴い苅藻島に渡り五日間修行をする。

 

建久九年(1198)の冬(旧暦10~12月)筏立に移る。
木こりの斧で木を切る音や3~4町(約327~436m)下にある大通りがうるさいと理由で修行地を移す。

 

筏立卒塔婆(筏立遺跡)の写真画像はこちら

 

 

 

 

東白上卒都婆(東白上遺跡)の場所

〒643-0006 和歌山県有田郡湯浅町田
駐車場 有 (無料)

 

 

駐車場画像と遺跡に安全に行くために伝えたいこと

施無畏寺第2の駐車場が遺跡に近いです。
明恵上人修行の地 東白上卒都婆(東白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像
施無畏寺第2駐車場

 

遺跡にはこの駐車場から徒歩で向かいます。

 

 

遺跡に安全に行くために伝えたいこと

遺跡近くまで乗り物で行く場合はオフロード走行が可能な軽自動車かバイクが必須で、それ以外の乗り物は駐車場に車を停めて徒歩で向かうのが安全です。

 

駐車場から西白上遺跡まで約1kmほど登り坂を歩きます。
道中、落石や落木、落ち葉が多々あり悪路が多く注意が必要です。また遺跡近くでは木々の中ケモノ道を歩くので長ズボンは必須で滑りにくい靴が良いでしょう。

 

夏場は蚊が多く『虫よけ』や『かゆみ止め』を用意した方がよいでしょう。やぶ蚊・マダニ対策の虫よけスプレーなどおススメ。
参考資料:乳幼児にも使える 虫よけミスト(蚊・アブ・マダニに効果)

 

 

実際にあった話ですが、以前近くのバス会社の人と話をした時、
「明恵上人の遺跡に行きたいけれど、大型バスは入れますか?」と他のバス会社から質問があったそうです。さらに遺跡に行く人たちは高齢で足腰の弱い方ばかりと言われたそうです。

 

行きたいと思っている方達には悪いですけど、無理だなと思いましたし、バス会社の人も「無理です」と返答したそうです。この駐車所にバスなら小型まででしょうね。歩けない時点で明恵上人の白上遺跡は行くのは厳しいよねと思った話でした。

 


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