明恵上修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡

明恵上人-西白上遺跡

2023年1月31日撮影 
明恵紀州八所遺跡 - 西白上卒都婆(西白上遺跡) - にししらかみそとば
国指定史跡

 

明恵上人23歳の時、京都から紀州に戻り最初の修行の地に選んだ西白上遺跡。眼下に栖原海岸が見え、遠くは紀伊水道や四国まで見える見晴らしの良い場所に遺跡はあります。標高は約170m人里から離れ波音も聞こえない静かな高台。風の通る音や鳥の歌声が心地よい場所です。

 

 

 

白上遺跡や施無畏寺への進入路
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

白上遺跡や施無畏寺を示す石標(道標)
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

施無畏寺第二駐車場
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像
駐車場から西白上遺跡まで約1km
乗り物はここで停めて歩きます。

 

 

分岐点
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像
駐車場から約400mほど坂道を上がった交差点。左の道に入ります。

 

 

分岐点にある遺跡案内板
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国指定 史跡
明恵紀州遺跡 卒都婆(みょうえきしゅういせき そとば)
西白上(白上前峯)・東白上(白上)

 

明恵紀州遺跡卒都婆は、有田地方に所在する明恵上人の生誕地や修行地に、明恵の高弟喜海(きかい)が、嘉禎かてい二年(1236)に木製の卒都婆を建立し、康永こうえい三年(1344)に弁迂(べんう)らの手によって石造のものにされたものである。卒都婆には、明恵の事績や建立の経緯が刻まれている。

 

白上山には、明恵が紀州での修行を始めた建久けんきゅう六年(1195)に最初に入った西白上(白上前峯)と、その後に拠点とした東白上(白上)がある。西白上からは、湯浅湾と島々が眼下に広がる絶景が望め、さらに山深くに位置する東白上では山中の緑に包まれた静寂さを感じることができる。

 

 

分岐点近くにある道しるべ
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明恵上人 西白上遺跡入口
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像
分岐点から約500mほど荒れた坂道を上がった遺跡入口。ここから約60m山の中に入ります。

 

 

明恵上人 西白上遺跡 説明案内板
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

史跡
明恵紀州遺跡 白上前峯(西白上)率都婆
 昭和六年六月三日指定
 和歌山県有田郡湯浅町栖原1468-1

 

この地は明恵上人が建久六年二十三才の秋高雄を出てここに初めて草庵を建て一心に文殊菩薩にお祈りして厳しい修行にはげまれたところである。しかしここは波音や漁の声がさわがしいのでしばらくして東白上に移られた。

 

率都婆正面には
梵字(マン)文殊師利菩薩 建久之比遁本山高雄来草庵之処 嘉禎二年(申丙)十一月十九日造立之 喜海謹記とあり

 

側面左側には『願主沙弥□□』、右側に『安部氏六女又』

 

裏面には
嘉禎年中所立卒都婆朽損之間今勧進一族以石造立之依此結縁各預上人引導可令成就二世願望者也 康永三年(申甲)九月十九日勧進比丘弁迂
とある。

 

注意、率都婆の
一、柵内には絶対に立入らないでください。
一、火気には充分気をつけてください。
一、附近で飲食は遠慮して下さい。

 

案内板の左奥に進むと西白上遺跡があります。

 

 

自然に囲まれた西白上卒都婆(西白上遺跡)
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

明恵上人 西白上卒都婆(西白上遺跡)
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明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

遺跡近くの大岩の上からの景色
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像
遺跡から少し上った山頂の大岩 標高約170m
「明恵上人伝記」に書いてある西白上峰にそびえ立つ大磐石(大岩)とはこの大岩か?
画像では分からないけれど四国が見えます。

 

 

明恵上人が眺められていたであろう栖原湾
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

明恵上人が修行した島々
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像

 

 

明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像
明恵上人が修行した鷹島と苅藻島が良く見えます。赤枠で囲っていない手前の小さな島は『毛無島(けなしじま)』です。

 

『明恵上人伝記』には『淡路島を望める』とあるが、遺跡から遠方に見えるのは四国で淡路島は見えません。淡路島を見るには遺跡近くの大岩に登ってようやく淡路島のごく一部が見えるだけでした。

 

 

苅藻島にある明恵上人座像
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像
綺麗な画像が用意できなくて申し訳ないです。
対岸より300mm望遠レンズで撮影。レンタルカヌーのツアーで苅藻島に行けます。

 

 

明恵上人23才~、西白上遺跡での出来事

23歳、建久六年(1195)名を高弁と改め明恵房高弁となる。同じ年、明恵は神護寺を出て故郷の紀州に帰る。栖原の山、白上峰の西側に草庵を建て修行の地とする。

 

明恵上人に心髄し、明恵と共に紀州に追随する僧たちが数人いた。その内の一人「義林房喜海」は明恵の生涯ずっと傍で修行し「明恵上人伝記」や「明恵上人行状記」を著した。明恵が示寂後に紀州八所遺跡に卒都婆を建て、歓喜寺を中興し明恵の功績を多く残している遺弟。

 

また草庵から西南の二段下がったところに、志を同じくして入門した僧達のため一軒の小屋を建てた。明恵はこの僧達を弟子とは思わず、同行・同業の者として考えていた。

 

寝食を忘れて修行する明恵の強い思いが『明恵上人伝記』に残る。釈尊(お釈迦様)のいたインドの遺跡巡りに行けなかった悲しさ、釈尊がこの世を去ってから自身は100年後に生まれ生きた釈尊に会えない恨み、煩悩を断ち切れない僧侶への憤りなど若き明恵の心の声を弟子の喜海は詳細に残している。

 

『糧絶えて山の東を求むとてわ町へ行けぬことぞ悲しき』(明恵-遺心和歌集)
食料が無くなり白上山の東にある湯浅町「我が町」に托鉢に行きたいが行けない。湯浅町には叔父の湯浅宗重や湯浅一族一門のいて食糧は簡単に手に入り必要以上の施しがある。それでは修行にならないと自ら向く足をそらす思いが悲しいという歌。

 

ほどなくして修行の地を西白上から東白上に移す。移す理由は『ここは波音や漁の声がさわがしいのでしばらくして東白上に移られた。』や『麓の栖原に住む人々の生活音が聞こえて修行の妨げになる』とあった。がしかし・・・

 

実際に西白上遺跡に来ると分かるが波音はほぼしない。耳をすませば自動車や船のエンジン音は聞こえるがうるさい程でもないくらい町から離れている。風が無ければ鳥の声だけが聴こえる静かな場所と言える。どこかにそういった記述があるのだろうか『何が本当に騒がしいのか?』疑問が残る。

 

個人的な見解だけど、遺跡のあった場所は海に面して風当たりが良く台風などの強風被害(草庵や書物損壊)があったかもしれない。他には明恵上人の修行を知り、村人が来るようになったのではないだろうかと『雑音』以外の理由を推察する。

 

東白上卒都婆(東白上遺跡)の写真画像はこちら

 

 

 

西白上卒都婆(西白上遺跡)の場所

〒643-0006 和歌山県有田郡湯浅町
駐車場 有 (無料)

 

 

駐車場画像と遺跡に安全に行くために伝えたいこと

施無畏寺第2の駐車場が遺跡に近いです。
明恵上人修行の地 西白上卒都婆(西白上遺跡)、明恵紀州八所遺跡の写真画像
施無畏寺第2駐車場

 

遺跡にはこの駐車場から徒歩で向かいます。

 

 

遺跡に安全に行くために伝えたいこと

遺跡近くまで乗り物で行く場合はオフロード走行が可能な軽自動車かバイクが必須で、それ以外の乗り物は駐車場に車を停めて徒歩で向かうのが安全です。

 

駐車場から西白上遺跡まで約1kmほど登り坂を歩きます。
道中、落石や落木、落ち葉が多々あり悪路が多く注意が必要です。また遺跡近くでは木々の中ケモノ道を歩くので長ズボンは必須で滑りにくい靴が良いでしょう。

 

夏場は蚊が多く『虫よけ』や『かゆみ止め』を用意した方がよいでしょう。やぶ蚊・マダニ対策の虫よけスプレーなどおススメ。
参考資料:乳幼児にも使える 虫よけミスト(蚊・アブ・マダニに効果)

 

 

実際にあった話ですが、以前近くのバス会社の人と話をした時、
「明恵上人の遺跡に行きたいけれど、大型バスは入れますか?」と他のバス会社から質問があったそうです。さらに遺跡に行く人たちは高齢で足腰の弱い方ばかりと言われたそうです。

 

行きたいと思っている方達には悪いですけど、無理だなと思いましたし、バス会社の人も「無理です」と返答したそうです。この駐車所にバスなら小型まででしょうね。歩けない時点で明恵上人の白上遺跡は行くのは厳しいよねと思った話でした。

 


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