広島県呉市宝町の呉市海事歴史科学館『大和ミュージアム』の写真画像集です。

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大和ミュージアム-精巧な戦艦大和
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大和ミュージアムの写真画像集

2010年8月13日撮影
広島県呉市にある大和ミュージアム大迫力の戦艦大和の模型が展示している。入場料を払わなくてもエントランスから戦艦大和の一部を見れるが、ここは500円を払ってでも見る価値はあります。

戦艦大和の模型は全長26.3m、細部まで精巧に再現された戦艦大和を4段のフロアーから色んな角度で鑑賞する事ができる。



大和ミュージアム 戦艦大和全景

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戦艦大和全景

大和(計画名A140F5)は1937(昭和12)年11月4日、広島県呉市の呉海軍工廠(こうしょう)の造船ドック(乾ドック)で起工された。その乾ドックは大和建造の為に拡張されて、長さが314m、幅45m、深さ11mとなった。

工廠・・・旧陸海軍に所属し、兵器・弾薬などの軍需品を製造・修理した工場。
乾(かん)ドック・・・陸地を船がはいり得るだけの大きさに掘り、コンクリートなどで固めた長方形の掘割で、船を入れたあと水門を締めて排水し、船の修理作業をするもの。


資料 戦艦大和艤装(ぎそう)中の写真画像

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資料 戦艦大和艤装中

1941(昭和16)年9月20日、呉海軍工廠で最終艤装(ぎそう)中の大和。
指令ブリッジサイドに副砲台(対空兵器)増強前の戦艦大和。

艤装(ぎそう)・・・船体が完成したあと就航に必要な種々の装備を船に施すこと。るもの。


大和ミュージアム 戦艦大和の艦橋の写真画像

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戦艦大和の艦橋

戦艦の頭脳である艦橋。戦艦大和には複数の艦橋があった。写真画像は司令塔の一番高い位置にある第一艦橋。遠くを見渡せるこの場所は明るい時間帯に使用していた。夜などは第一艦橋より低い位置にある第二艦橋を使用していた。

艦橋(かんきょう)・・・ブリッジとも言い、羅針盤、操舵室などを備え、船の中枢部としての役目を持つ場所。


大和ミュージアム 戦艦大和の側面の写真画像

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戦艦大和の側面

戦艦大和は史上最大の戦艦だが、技術的洗練度が高いため、世界最大の主砲と防御力を持つわりには小さく作られた艦であった。

当時ではめずらしく13階建ての艦橋(かんきょう)にはエレベーターが通っていた。


大和ミュージアム 戦艦大和の舵とスクリューの写真画像

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戦艦大和の舵とスクリュー

戦艦大和、舵を2枚直列配置する事により、大和はその巨大な艦の割りに小回りの利く旋回性能を得ていた。また、魚雷で片方の舵が破損した時でも、もう1つの舵で航行の継続が可能だった。


大和ミュージアム 戦艦大和の球状艦首(バルバスバウ)の写真画像

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戦艦大和の球状艦首

戦艦大和には球状艦首(バルバスバウ)がある。巨大船舶でよく見かける形状の艦首だが、当時は最新技術の一つだった。

球状艦首(バルバスバウ)とは速度の増加、燃費の向上を目的で作られている。
船舶が水面を掻き分けて進む時に発生する波には負の効果がある。しかし、バルバスバウがあると、バルバスバウの波と掻き分けてできた波が打ち消しあい負の効果が減少する。


大和ミュージアム 戦艦大和の艦尾(カタパルト)の写真画像

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戦艦大和の艦尾(カタパルト)

戦艦大和の艦尾にはカタパルトが2本設置されている。カタパルトとは艦艇から航空機を射出する機械で、滑走路が無くても離陸するだけの初速が得られる。

戦艦大和は建造時より航空機の搭載を考慮されていた。搭載可能機数は6機で全て艦内に格納(主砲発射時の爆風対策)することができた。帰還した航空機は水上に着水した後、艦尾にある大型クレーンで引き上げ再収容した。

写真画像の航空機右下に四角の凹みがある。扉が閉まった状態なので分かりにくいが、そこが航空機を収容した格納庫入り口です。


大和ミュージアム 戦艦大和と4段の鑑賞フロアの写真画像

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戦艦大和と4段の鑑賞フロア

戦艦大和を4段のフロアから鑑賞ができます。2Fのフロア以外はほぼ360度からの鑑賞ができます。

昭和16(1941)年12月8日、日本軍はハワイ真珠湾を攻撃し太平洋戦争勃発。その8日後の12月16日に就役した戦艦大和が洋上に姿を現した。米軍が真珠湾攻撃を境に空母増産を開始し航空戦力による攻撃に変更した為、戦艦大和は実戦で力を発揮できなかった。

真珠湾攻撃で航空機の威力を実証したにもかかわらず、日露戦争の栄光もあり大艦巨砲の考えを捨て切れなかった。これも後々の敗戦理由のひとつである。


大和ミュージアム 海底に眠る戦艦大和の写真画像

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海底に眠る戦艦大和

昭和20(1945)年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途上、米艦載機の攻撃を受け沈没、乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にした。

写真は大和ミュージアムに展示してある海底に眠る戦艦大和を再現した模型です。

戦艦大和は1982年にソナーによる発見と水中カメラによる船体映像撮影の成功をしていたものの確信が得られていなかった。船体が大和である事を証明する為、1985年に同海域水深345mにヨーロッパからチャーターした潜水艇パイセスを潜行させた。2度目の探索では菊の紋章や大和特有の残骸など十分すぎる状況証拠の発見と一部回収により沈没船が戦艦大和と証明ができた。



海底に眠る戦艦大和



大和ミュージアム 大迫力の戦艦大和の写真画像

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大迫力の戦艦大和

大艦巨砲は戦争では生かす事ができず、戦艦大和は沈んだ。
しかし、大和建造で得た高い造船技術は後世で生き続け、大型タンカーの製造、精密光学産業発展など世界トップクラス生産国となる礎(いしずえ)を築きました。

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