新宮城、水ノ手遺構の写真画像集
2023年1月15日撮影
新宮城水ノ手遺構
水ノ手遺構は新宮城の北側に位置し、松ノ丸広場から階段を降りて行きます。水ノ手では熊野川を利用した物資の上げ下ろしや保管していた場所で、木炭の倉庫(炭納屋)遺構が見つかっています。今も立派な石垣や熊野川へおりる階段やスロープが残されていて、整備された歩道を歩きながら、活気あったであろう過去をイメージしながら散策でき楽しめました。
- 2023年、新宮城跡〜入口から鐘ノ丸広場の写真画像
- 2023年、新宮城跡〜本丸跡と駐車場の写真画像
- 2023年、新宮城跡〜水ノ手遺構の写真画像(現在のページ)
新宮城跡全体イメージマップ
新宮城跡から見た水の手遺構
本丸近くから下(水ノ手)を見た風景。水ノ手移行へ続く階段や整備された歩道が見えます。
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本丸と水ノ手の分かれ道にある案内石。
水ノ手遺構への降り口。降り口には案内表示がないので分かりにくいかも。
熊野川に面した水ノ手は、幕府が諸藩に命じて提出させた「正保城絵図(紀伊国新宮城之図)」(しょうほのしろえ・しいのくにしんぐうじょうのず)(1644年〜1654年頃)にも描かれており、築城当初から新宮城の重要な施設として機能していたと考えられます。
ここからは平成6年度の発掘調査で、多数の礎石建物跡が発見されました。建物跡の床面には、砂利が敷かれ炭の粉が堆積していたことから、これらは1万俵もの炭俵が収納可能な「炭納屋群」と想定されました。
城内消費用としては多すぎる数量であるため、熊野川流域の新宮炭(備長炭)を専売していた新宮城主水野氏の対外的な経済活動用の施設であると考えられています。
このような城内での経済施設の発見は全国的にも例がなく、ここは、近世城郭(きんせいじょうかく)の経済的側面を実証するものとして、極めて重要な場所であると言えます。
新宮城跡保存修理事業(水ノ手保存修理工事)
新宮城跡は、平成6年度の水ノ手における炭納屋(炭の倉庫)遺構の発見をきっかけに全域の調査が進められ、平成15年8月に国の史跡指定を受けました。平成16年度からは、貴重な文化財としての価値を後世に伝えるために、港湾部の発掘調査、石垣の修復、炭納屋遺構の整備等の保存修理工事を実施しました。
■発掘調査で新たに判明したこと
調査前は2mの高さで見えていた熊野川沿いの石垣が、実は地中にも3m以上の深さで埋もれ、本来は高さ5mを超えるもので、熊野川からの敵襲あるいは洪水に備えた強固な姿であることがわかりました。
■石垣の保存修理
石垣の適切な保存と管理のために、解体・積み直し等の修復や近代以降に付け加えられた石段の撤去を行いました。
■炭納屋遺構の整備
盛土と張芝によって炭納屋遺構面の保護を行いました。また一区画(この説明版の左側の区画)において、建物内部の床面で発見された炭の粉と砂利とを用いて炭納屋床面の展示を行っています。
炭納屋床の展示と書いていたけれど、見たところ芝生しか分からなかった。説明書きの写真では床が黒っぽいのが分かる。これが炭交じりの地面だったのだろう。
降りてきた階段。踏板が古く見えるしたわむので折れないか心配だった。安全に真ん中を歩かないようにしておりました。
斜面の木や雑草がなくてきれいに見渡せる時期に来られてよかったです。
川に続く石のスロープ。熊野川河口で海にも近い新宮城はいろいろな物資をここで上げ下ろしできたのだろう。
石垣やスロープは現在の地面より3m以上は埋もれていることが発掘調査で分かっているそうで、その写真が展示されていました。
山と川に囲まれた陸の孤島にしか見えなかった水ノ手遺構。この場所に入ってから気づいたことですが、この写真の奥は川沿いに道が続き左に迂回していけば平地を歩いて駐車場まで行けます。
ちなみに、水ノ手遺構から新宮城松ノ丸広場までの階段段数は122段でした。
水ノ手遺構と新宮城本丸跡
急な階段を下りてみると、地元の人なのか水ノ手遺構の端で熊野川を眺めている人がいました。水ノ手遺構は山に囲まれたせいか文明の音がほとんどない。たまに通る電車の音がするだけで静かで落ち着く場所でした。
今回、初めての観光で新宮市にこんなにりっぱな遺構があると知りませんでした。近くにある速玉大社や神倉神社で満足していてもったいない気分です。城好き・遺構好きやのんびり散歩したい方には良い観光地なのでおススメです。
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新宮城跡(丹鶴城公園)の場所
〒647-0010 和歌山県新宮市 丹鶴三丁目
駐車場 有(無料)
新宮城跡(丹鶴城公園)の駐車場画像
7台くらい停められそうです。