大和ミュージアム周辺にある戦艦陸奥の巨大な展示物の写真画像
大和ミュージアムの写真画像集
2010年8月13日撮影(一部2010年1月1日撮影)
広島県呉市、呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」に行ってきました。大和ミュージアムには1/10スケールの戦艦大和の模型や零式艦上戦闘機(ゼロ戦)など過去の海軍兵器の実物が多く展示してある。また、船舶の技術向上の過程などが学べる科学館としての役割もあり、とても興味深く貴重なミュージアムになっていてる。
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- 大和ミュージアム 零式艦上戦闘機と特攻兵器
大和ミュージアム周辺の展示物
広島県呉市にある大和ミュージアムの周辺にある展示物です。
写真画像の展示物は沈没した戦艦陸奥の引き上げ品で歴史を感じさせる一品
レプリカと思っていたが、海から引き上げた実物を展示している。
写真左から
・主錨(しゅびょう)・・・船の停泊時に使用するいかり
・フェアリーダー・・・船から出し入れするロープを保護する金物
・主砲・・・敵艦に砲弾を撃つ際に使用する主な大砲
・プロペラ・・・スクリュー
大和ミュージアム 巨大な主錨(しゅびょう)
大和ミュージアム 戦艦陸奥の主砲身
戦艦陸奥の主砲、4番砲塔の左側に設置していた41cm主砲身を展示しています。主砲から発射される砲弾は総重量1トン、射程距離30km。当時、世界最大の艦載砲だった。
戦艦「陸奥」
41センチ主砲身(4番主砲塔左)
41センチ主砲身の製造について
戦艦「陸奥」に搭載された41センチ砲は呉海軍工廠で開発したもので「陸奥」の建造当時は世界最大の艦載砲であった
呉海軍工廠砲熕(ほうこう)部が大正7年に量産初号砲を完成させ以降74門製造した
大正9年からは北海道室蘭において日本製鋼所も生産を開始し24門製造した
ここに展示されている砲は日本製鋼所の2号砲で大正10年に完成したもので戦艦「陸奥」には昭和11年に搭載された
この主砲身の砲尾に「室2」が刻印されています
銘板寄贈 株式会社日本製鋼所
大和ミュージアム 戦艦陸奥のスクリュー
戦艦陸奥のスクリュー、巨大なスクリューに驚きました。
戦艦陸奥は戦時中に撃沈されたのではなく、艦内で発生した謎の火災により爆沈したと記録がある。火薬庫の爆発で船体が二つに割れ瞬時に沈没した。それから27年後にサルベージ(引き上げ)作業で再びその姿を現した。
大和ミュージアム 戦艦陸奥の舵(かじ)
戦艦陸奥の舵(かじ)、今回の写真画像では子供と自動車の一部が写っているので大きさが伝わるかと思います。奥に見えるスクリューも舵(かじ)と同じくらいの高さがありました。ちなみに子供の身長は1m10cmです。
大和ミュージアム 戦艦大和の実寸サイズを体験
大和ミュージアム裏側には、戦艦大和の一部を実寸サイズで表現した公園があります。
あまりに大きく(広く)て、きれいな港の公園と思い、大和の甲板の一部とは気づきませんでした。
近くにあった公園の説明を読み、戦艦大和の甲板だと気づくことができました。
戦艦「大和」
戦艦「大和」は、昭和16(1941)年12月16日、呉海軍工廠で竣工しました。当時、最先端の技術を用いて建造され、現在でも世界の歴史上最大の戦艦です。昭和17年(1942)年2月から1年間、連合艦隊旗艦となっていました。昭和20(1945)年4月、沖縄への海上特攻作戦に出撃し、九州南西沖でアメリカ軍の攻撃を受け沈没しました。ここでは、戦艦「大和」前甲板の左半分を実寸大で表現しています。
現在でも世界の歴史上最大の戦艦とは驚きです。
衛星写真でも確認ができる戦艦大和の大きさ
私が大和ミュージアムに行ったとき、ミュージアムの裏にこんな公園があるなんて知らなかったし、ミュージアム内になんの案内や誘導もなく、偶然見つけることができました。本当にラッキーです。
もし、大和ミュージアムに訪れる人がいたなら、この公園で戦艦大和の大きさも体験しないと勿体ないと必ずお勧めするでしょう。
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